作家・管理人 ひととなり

布作家の 理山りざん 理恵子りえこ です。
よくぞ、こんなところまでのぞいてくださいました。
感謝、感謝です。

えっと、ざっと、ひととなり。

「上を向いて歩こう」が米国中に流れ、
初の女性宇宙飛行士、旧ソ連のテレシコワ少尉が「私はカモメ」と言い、
日本初の高速道路ができたころ、
六文銭ののぼり旗で有名な地で出生。

実家は、木造二階建て、その昔、養蚕をしていた家屋で、田畑を持ち、ウサギやニワトリを飼う。

父の転勤でその実家に引っ越してきて以来、高校卒業するまで、北方に浅間山、南方に八ヶ岳を見ながら
ウサギやニワトリの世話をし、犬とともに大家族で、自然の風を感じながら暮らす。

そして、上京。

文化女子大学短期大学部服装学科、専門学校東京アナウンス学院という
ダブルスクール族の走りを過ごし、無事、卒業。
卒業後、すごく忙しい仕事、時には掛け持ちの仕事をこなし、バブル期もバブル崩壊も経験する。

稼いだお金はコンピュータにつぎ込み、徐々にコンピュータにまつわる仕事が多くなる。
米国シリコンバレーでGoogleが創業したころ、
江戸城外堀の近く、古き良き時代の香りがまだ少し残る町に嫁いだ。

これを契機に、会社員の合間にキモノや古着のリメイク創作活動に励む。
これも二世帯住宅というのか、母屋の隣の二部屋しかない小さな小さな昭和の香り漂う戸建てに住み、
キモノがキモノを呼び集め、自分たちの着るものよりたくさんのキモノや古着に埋もれて暮らす。
急速に発達したインターネット上で、割と気軽に個人でオンラインショップを持つことができるようになった。
そこで、ぼちぼちと作品販売を始め、あふれていたキモノや古着は素材箱に収まるだけとなる。

会社員生活も卒業し、荷物も減ったので、
これまた二部屋しかない母屋の屋根裏を改造し、
小さな戸建てから作業場を兼ねた屋根裏部屋へ移り住み、
厳選した素材で創作活動する今日に至る。

こんなもんです。

よろしくお願いします。

古着再生活動−リメイクのはじまり−

始まりは、布が捨てられないことだった。

それは、祖母や母が、すり切れや汚れなどでもう着ることが出来なくなった着物をほどいて、布団カバーやお稽古袋、前掛けや遊び着、端切れで人形の服、さらに紐や帯など実にさまざまなものを作って使い回してた中で育ったからだ。
それに、古着のいい塩梅に褪せた色やくたびれた布の感触、そして何よりも、そこにある模様が好きだった。

古着を再生させることは、ゼロからの出発ではない。まず、完成されている物の縫い目をほどくのだ。

そう、破壊である。

次第に繋がっていた物が切れ、文字通りの「きれ=布」になる。
袖(腕)を切り離し、身ごろ(胴)を切り離し、襟(首)を切り離し、まるでバラバラ殺人のようだ。

その行程を見ていた初期作品の所有者は、「あのバラシた服で作ったの?」と言った。

「バラシ」!!

そう、そうなのだ。バラシて輪廻転生。
これが私の 古着再生活動−リメイクのはじまり− である。